世界を言葉で繋いだら

毎日にイラストを添えて

考える、の一歩手前

 

私は考えるのが好きです。それは自分と人の違いが分かるから。かっこよく言うと、知見が広がるってやつです。

 しかし、考えることがよく分からないという人もいます。本や映画を見た感想も、面白かった。ここで止まってしまうそうです。そんな方に向けて、考えるということの入り口というか、扉の前に立つにはどうするのか。私なりに書いてみます。長い。

 夕飯は?

 「今日の夕飯、カレーで良い?」

 まだ学校に通っていて、あなたのお母さんから夕飯のメニューについて聞かれたとします。どう答えますか?

 今日はカレーの気分じゃないから別のものが食べたいと、答えたとしますよね。

 「なら、何が食べたいの?」

 さて、何をお願いしますか。暑い時期ですし、さっぱり蕎麦やそうめんも良いですね。それとも辛いもので元気が欲しいから、麻婆豆腐や担々麺のようなものが食べたい人もいるかもしれません。魚が良いな、あまり食欲がないから冷ややっこだけでいいな。

 こうした候補の浮かぶ人は、大丈夫。すぐに考えられるようになります。でも人によっては、これという提案がなく「他のものが良い」とお母さんに返事をします。すると、

 「じゃあ、焼きそばにするね」

 しかし、焼きそばという2つ目の案も、しっくりきません。

  「他にないの?」

 しかしこれでは、作る側のお母さんは困ります。

 「何ならいいの?」

 そうすると面倒くさくなって、「じゃあカレーでいい」となります。

 やり取りを想像して、じゃあカレーになる人は気を付けてください。考える習慣がない人です。

 夕飯は食べるのが自分、つまり出された質問に明確な答えを持っているはずの人が、答えられないのです。問題が難しくて、長時間考える必要がある。判断する材料が足りず、決断できない。そういうわけではないですよね。きっと自動的に出されたものが夕飯になるから、考えなくていいことが続いているんだと思います。

 みんなの言う考えるというのは、考えざるを得ないシチュエーションが多いのです。

 パターン1.考える=答えを導く

 授業でやる問題なら解かないと、テストで点が取れずに成績に響く。会社の会議だと、そもそも問題が「売り上げを伸ばす」で、どの商品にするか、購買層は、という絞り込みがされてなく。問題が大きすぎて考えられないケースもあります。

 授業では公式を習い、練習問題、応用問題と進んでいきます。例え公式を理解してなくても、覚えると解くこと自体は可能です。

 会社の会議では、裏付けとなるデータを集めて。成功する確率の高そうな方法を決めることで、時間がどのくらい必要かはまちまちでしょうが、解決できそうな案が出てきます。

 これも考えるですが、私の今日話したい考えるは、もっと自分のこと。

 パターン2.考える=自分との差

 自分のことを蔑ろにしているわけではないけど、空腹の自分が食べたいものが分からない。話題の映画で見たら面白かったけど、どこがどんな風にと聞かれると答えられない。感想がないから、「映画つまらなかったの?」と聞くと、「面白い」と返ってきます。ただその後にストーリーに関することではなくて、主演の俳優さんがカッコいい、アクションが。のような部分的なものが多いです。

 もちろん要素の一つとして演者の魅力や、派手なアクションも必要です。私は話の展開や道筋があるからこそ、要素が生きて面白さが増すと考えています。役者さんが美男美女の演技派と呼ばれる人を集めても、面白くない映画はあります。

 ここで面白くないと感じるのは、私だけかもしれません。だって一緒に行った友達は、また観たいと言っています。その差は何でしょうか。ここが一番初めに書いた「自分と人の違い」です。

 みんなちがって、みんないい。

 私の知らない面白い世界を知りたいし。同じように面白いと思ったとしても、私以上に楽しんで映画を見ているかもしれません。人との違いの再発見、といいますか。

 感想を言い合うと、見逃していた部分に注目して後半のストーリーをより楽しんでいた。キャラクター性を説明するために、カチッとした服装でいた。など視点が違うこともあります。その違いが私は好きなので、考えることは楽しいと思っています。

 ただ日常生活では、あまり使わない部分なのかもしれません。私の周りの友達は同じ趣味の人が多いので、日常的にイラストを描く、レジンアクセサリーを作る、オリジナル小説を書く、アニメの1話ごと描写について言及する。まあ少々、気の狂った人が多いわけです。なので自分と人との違いが、個性や味として作品に反映されます。結果的に考えざるを得ない状態です。

 できなければならない、とは思いませんが。地上波のテレビに合わせて、アマゾンやネットフリックスでもドラマが見られるようになって。単純に本数が増えました。もしドラマを見るのが好きな人は、作品数が増えて嬉しいでしょうが。どれを見るのか選ぶ必要がありますし。もし気に入ったドラマ作品があって、レビューや感想ブログがすす少ないなら。配信を続けてもらうためにも人気を増やしたい、感想を言い合いたい。友達にオススメする必要や、配信サービスに書き込むことがあるかもしれません。

 それとは別に、どんな自分の主張も言わないと人には分かりません。目蓋が閉じ気味で、ふらふらしていたら眠いのか、具合が悪いんでしょうが。熱があるって言わないと学校も仕事も休めません。同じ空間にいて、服を着こみ、唇が紫なら、言われなくても寒いって分かりますが。ガラス扉向こうの、見えている人にも伝わらないかもしれません。

 考えるのには、材料がいる

 昨今好きなことをやろう、と誰しもが言いますが。好きなことといっても、仕事が好きだという人もいます。そんな人には特に、人と比べて簡単に出来ること、ひいては得意なこと。人が嫌がるけど、自分は何とも思わずできる仕事。

 自分だけで分かるものと、人との違いで分かるものがあります。どの集団にいるかでも、少しずつ分かります。

 絵を描く趣味の集まりからすると、私はお金をもらって依頼を受けるような人とは、天と地の差がありますから、決して得意なことにはなりません。代わりに電話の対応や資料集めは、日常的に仕事でしているので手早く出来るかもしれません。

 職場ではイラストを描くことはないですが、説明するための図などは簡単に描けます。イメージを紙にということが私には日常的だからです。

 考える=自分との差=得意

 得意とか、好きとかを最近いうのは、理由が色々と言われています。人の流れがもっと流動的になり転職が当たり前になる。本当にベーシックインカムが確立され、好きなことが出来るようになる。入力や資料などがAIで自動化され、開発にだけ注力すればいい。副業が全ての会社で適応され、もう1つの仕事を探す際に出来ることの見える可が必要なる。単純に寿命が延びたので、趣味があっても1つでは飽きる。

 他にも理由はあるだろうし、自分が納得しやすい理由を作るも善しです。考えることが、人との違いなら。分かりやすいのが得意です。だからよく、好きをという言葉を耳にするんだと思います。

 多様性という言葉もよく聞きます。価値観、つまり常識が変わるというのは、今まで生きてきた土台です。そこが新しくなるなら、家で言うと建て替えになります。

 そこで新しい家をモダンなビルのようにするか、瓦屋根の和風にするか、庭つきが良い。なんて決めるのに、好き、得意が必要なんだと容易に想像できます。私は海の外に出たことがないですが、同じ日本に住む言語が通じる生きている相手でも、相手の言っていることを理解するのに2時間も3時間もかかることがあります。

 おのおの当たり前、としていることが違いすぎるからです。なんとなくカッコよく多様性を、ダイバーシティとか言って広めようとしていますが。本当に多様性を受け入れられる状態になっている人は少ないです。人が受け入れなれないと、今のルールーでは難しいとならず、法律も変わりません。

 諸外国の言いなりに変われ、とは思いませんが。よそはよそ、ちはうち。と強く言うわけでもないので、個人個人が防波堤を作らないとな、と静かに思っているだけなのかもしれません。

  考えるには誰が考えているのか、を知らないとね

 長くなりましたが、結論は。考える前に、自分がどんなパラメーター設定なのか知ろう。ということです。

 この問いを人類史上の哲学者はずーっと説いてきたし。人類史が始まる前から疑問に思っていたのか、解決するために神からのギフトとしているわけです。全人類については専門家に任せて、自分のことについては自分なりに仮説をつけていけばいいと思います。