世界を言葉で繋いだら

毎日にイラストを添えて

物語と日常の境目

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 昨日は物語の話をしましたね。あなたの毎日、学校で習う歴史、好きな芸能人の日常生活、お気に入りの映画やドラマ。すべてに物語があって、どれもドラマチックなんです。事実は小説より奇なり、と言いますが小説を物語の1つとして分類して、この言葉を読み解くとしましょう。日常と物語の境はなんでしょうか?

 私は「選択に視点をおいて物語を見るのか」に尽きると思います。例えば友達がオーディションに応募したから芸能界に入った、コンテストに作文が入、剣道の地区大会で優勝、部活動で一緒になった。ドラマチック度がことがらによって違うでしょうが、いわゆるターニングポイントという分岐点に重心を置くことが物語の必須事項です。なぜなら物語は振り返るもので、小説だってその転換点はほんの1行なこともあります。物語というのは興味、関心が散りばめられた日常で。未来のことが書かれているとしても、完結していてこと成立します。人生を物語に例えることもありますが、未来のことは過去の類推によって構成されます。なぜなら、まだ現実として事象が成立しないから。天気予報や占いと変わりません。

 ターニングポイントを分岐点と書いたのは、そのためです。明日の降水確率が60%だとして、朝から夕方まで出かけるなら傘を持っていくでしょうが。近所のコンビニまで行くのに、雨が降っていなければ傘を持ってコンビニには行きませんよね。コンビニで買い物が終わり、お店を出るときにもし雨が降っていたら「傘を持っていない自分」と「傘を持って行った自分」とに未来が分岐します。でも明日のことは予報だから、「降るかもしれない」というだけでどちらのルートになるのか決まっていません。

 選択肢って導火線に似ていて、同じタイミングで火をつけたとしても、その導火線の長さが実は違っている、導火線の先は発火装置に繋がれていない。そんなことだってあり得ます。心理テストのイエスノーの選択に似ています。ゲームが好きな方ならファイヤーエムブレムのような、シュミレーションRPG。それとシュタインズゲートでいうところの世界線の考えですね。相対性理論に出てくる世界線とは別の意味合いで使われている言葉です。帰結する結論は同じだとしても、たどるルートは大切ですよね。

 私も毎日、この選択が未来を変えるかも?なんて考えながら過ごしているわけではありません。ただ、山の頂上から下山するのに南に下りたいのに西を向いているなら、山を降りきってから南を目指さないといけまけん。私は降りきってからではなくて、降りながら少しずつ南向きに角度をかえて降りるのも方法の1つだと思います。つまりドラマチックな選択肢のような輝く1つはあるだろうけれど、選択肢をみる習慣と飛び込む勢いがないと、突然現れる分岐点に尻込みするんじゃないかな。新卒1年目で会社のプロジェクトを任されてリーダーになって、先輩たちに指示するとか、結構怖いでしょう。企業の教育体制として、制度として盛り込まれていることでもない限り、なかなかレアケースです。私も準備というか慎重な方なので、いつも紐なしバンジーで飛び込むわけではないですよ。たまに博打も打ってみたくなる。それだけ。