月と雨音

毎日のあれこれとイラスト

夜空の包容力

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 私は夜の暗い空が好きです。周りが寝静まって静かなこともそうですが、ずっと見つめていても終わりがない闇というか宇宙。陳腐な言葉になりますが、自分が飲み込まれたとしても夜空にたいしたダメージもなく、やすやすと飲み込まれます。明るい言い方をすれば、包容力がありすぎる空といったところでしょうか。人って簡単に絶望するし、ささいなことに希望を見出せる短絡的で楽観的で、刹那的で。かといって先を見据えていないわけで見なく、アンバランスだからそこ美しい。そのアンバランスを一人の人間が背負うわけでなく、人類という全体で覆うから。明るい人、慎重な人、ネガティブに考えがちな人、情熱的な人。バラバラの要素を持った人が集まっているのです。どこに境界線を置くのか、という話なんです。
 人って1人といとう個人というよりも、家族や会社、学校と行った社会的単位での最小を求められることが多いです。1人といっても、高校2年生の〇〇さん、△□会社5年目の事務の〇〇さん、という具合です。コミュニティに所属していないと生きるのが難しい仕組みに今の社会はなっていて、そのせいか自分に付いているラベリング。××している私が、自分の最小単位だと思いがちです。社会で習う「生存権」っていうものは、条項文によればだれでも分け隔てなく、みんなが過ごせる権利です。お金持ちだから、学力が高いからと優遇されるものではないことになっています。

 私という個人を考える機会が、そもそも少ないんでしょうか。私は、私の会社での地位とか資格をもっているかとかではなく。同じ好きなもの、話していて楽しい、落ち着いた声が良いといった、「あたながそういう人だから好き」と言われたいんですね。社会秩序のなかでは、何も持っていない人なので下心のある他人が迫ってくるような経験はありませんが。いわゆる立場のある人には、それなりの苦労があるでしょう。なくても人って悩みが尽きないものです。なら、そういう立場を少し置いておいて、自分のことを自分が自由に決める時間があってもいい。私はそれが夜や、イラストなどを考え作っているときです。自分を好きで満たして得られるのは、コミュニティに属していない自分を埋める作業でもあるのかなと、このところ思います。他者のいない場所では、たとえ1人になっていたとしても、他人と違うという認知があって、自分があるわけですから、「ヒト」という状態ではないため自分でコミュニティのことを忘れる作業が必要です。

 夜空とか雲とか、とかく大きなものと比べると。人はたまにコミュニティに所属していること、悩みを忘れられるようです。それを意識的にすることで、社会での息苦しさを緩和出来ないかな。好きの延長に没頭があって、我を忘れるの「我」が先に挙げている「△□会社5年目の事務の〇〇さん」というコミュニティに所属している自分です。

 ちょっと今日のブログは分かりにくいですかね。