世界を言葉で繋いだら

毎日にイラストを添えて

15年前の私とサヨナラ

f:id:sena_kureha:20210327175523p:plain

 サクサクと決めることができるようになってきたのですが、処分できないものがありました。ペンタブレットです。今日やっと決心がつきました。

 まだ学生の頃、少し前に「キノの旅」や「ブギーポップは笑わない」、「トリニティ.ブラッド」などラノベのブームがありました。小さいときから本が好きだったので内容はもちろんですが、想装丁や表紙絵、挿し絵などの仕事があるのを知っていましたが。そのラノベブームの中でイラストレーターという職業を知りました。本と同じくらい絵も好きだったので、記憶に刻まれる職業でした。ブームに乗ってなのか各社、新人賞などでたくさんの作家、イラストレーターを募集していました。雑誌などでも執筆の様子や、イラストレーターさんとのやり取り、編集者との打ち合わせのようなものを見かけました。

 すでにイラストは漫研で描いていたものの、カラーは絵の具やポスターカラーで。モノクロのときはスクリーントーンで、という普通の世界でした。プロの人ってどんな作業をしているのかと興味津々に見てみると、パソコンを使ってイラストを描いていました。今となっては逆転している気もしますが、当時は限られた専門職の方が使っているイメージでした。まだwindows xpが出るかなくらいの時代です。

 とても憧れました。今となってみれば簡単な話ですが、いくら道具があっても技術力がないと、自分の望むイラストは描けません。単純だった私はどんな機種やイラスト用のソフトがあるのか、好きなイラストレーターさんはどんな道具で描いているのか調べました。デジタルのほうが向いているイラストというのはあると思いますが、道具がなければかけない。なんてことはないんですが、手段と目的が入れ替わったままになります。『弘法筆を選ばず』ということわざがあるのに、全く気づいていなかったんですよね。

 それからしばらくして、変わらずイラストを趣味で描いていたものの。特に上達もしておらず、募集に応募する度胸もないまま、お金を貯めてペンタブレットを買ったのです。

 ペンタブレットというのは、usbなどでパソコンに繋げる電子端末で。その板にペンを滑らすと、滑らかに線を描ける代物です。今じゃ液晶画面をなぞって線が描けるなんて当たり前のことが、まだまだハイスペックモデルでないとカクカクしていた頃の話です。当然ペンタブレットは当時の私には高額でした。またイラストなどのソフトもです。有名なのはフォトショップなどでしょうが、聞いたことはあるでしょうか。揃えると大卒の初任給くらいしました。でも買ったんです。

 すごく嬉しくて、ウキウキして。早速、家に帰ってハイスペックじゃなかったパソコンを、推奨される作動環境に変えた新しいパソコンにインストールしました。慣れないなりに、個人サイトのハウツーを見ながら、イラストを描きました。

 そしてやがで、ペンタブレットの対応可能なosが手元になくなり。でも多少の動きの不自由さはあるものの、完全に動かないわけではないので、ずーっと手元にあったんです。名前が似ていてややこしいですが、タブレット端末でイラストを描いてから一度も触っていないのに。

 

 今日5年ぶりにパソコンに接続して、動かしてみました。ペンタブレットの反応する面と、画面が連動しる仕組みです。なので手元を見ないで画面を見て作業するので、慣れが必要ですが。どことなく自動筆記のような不思議な感じがします。手で隠れずに描けて良いと感じる方もいます。処分する前にと使ってみましたが、当然対応していないosなのでペンを滑らせても、思った位置に移動しません。筆圧検知も非対応なので、マウスで線を描いたようなカクカクしたものしか描けませんでした。

 買ったときは、イラストを描いて人に喜ばれたい、イラストに値段がついたらいいな。そんなことを思っていました。同じく好きな本は、受かりはしなかったものの公募に出したこともあるのに、イラストはないんですよね。描くのは好きだけど、私は本当にイラストが好きで描いているのかな。そんなことまで考えてしまいました。

 文書にしたほうがより伝わる。これはイラストのほうが意味を分かってもらえる。そういう使い分けをしているので、イラストの立ち位置が好きですが意味合いが違うのかもしれません。しかし本を読み飽きることはないし、自分の気持ちを整理してより深く考えるのには言語化は外せない。ならイラストを描くことも、私には何かをうまく消化するために必要なことなのか。上手くなりたい気持ちはあるのですが、それは自分のやりたいことが出来ていないからという理由だけなのか。

 値段に執着しているつもりはなかったけれど、気持ちには執着していたように思えます。私は人に理解されることを望んでいるのかもしれません。もっと描きたいって気持ちもありますが、どうしてそう思うのか分からないんです。日常になりすぎたのか、描いていると他のことを考えなくていいからなのか。今挙げたことの他にも、もっと何か理由があるのか。

 でもやっぱり、見た人に良いなって思われるものも描きたいな。