世界を言葉で繋いだら

毎日にイラストを添えて

お茶の距離

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 私はアフタヌーンティーが好きで、今はお店の都合などもあって行っていませんが毎月、友達と行っていました。美味しいものが食べられる、豊富な紅茶が味わえる、おもてなしを素敵な空間で受けられる。そういった理由もありますが、人との距離を近づけるのに最適です。

 同じ釜の飯という言葉がありますが、人というのは同じ動作をする人が好きになるという心理学的効果があります。ミラー効果といって恋愛テクニックなどでは定番なので、聞いたことがある人も多いと思います。
 そういった心理学的な効果以外にも、近くにいる相手と無言で食事をするのは難しいので、世間話程度に近況や趣味の話もするでしょう。仲良くなりたい人がいるなら、向かい合っての食事というのは手段の一つです。ただ、私はあまり距離の近い人は苦手なので、世間話を受けながす、無言の食事も平気なので誰にでも効果的に働くわけではありません。最低でも、敵対する意思はないということは伝えられますので。相手がどんな人なのか知りたい場合には使える手段と認識しています。

 本当に近くになりたい人であれば、口実の他にも、よく観察し、周囲にいる人にどんな人か聞くはずなので。手段を調べている時点で、実は好きとか興味ではなく、利己的な要因で近づいているわけですから。警戒され、思うように近づくことは出来ないのは、納得してしまいます。私は興味や昨日のブログで言う、光っている人にすいっと近づくことが楽しいので。例え心理学やら観察した結果を手札として持っていても、使わないケースが多いです。どうせ好かれるのは2割の人。なら、その2割の人ともっと近くなれるほうが良いなと思ってしまうんです。世の中に転がっているテクニックは、使い古されているが故、効果がありますが。効果があるからこそ、出すタイミングが大切で。その判断のつかないうちは、使わないほうが自分へのダメージもないでしょう。

 特別、人と交流を持っているわけでもないし、人に好かれる性格ではないと自負していますから、書いてあることに説得力や再現性があるかと問われると、自信はないですが。分かっていて剣を振るうのと、知らないまま剣を振るうのでは、どちらが罪深いのか考えた結果です。知らないほうが逃げられるのかもしれませんが、人の個性であろう共感というものを慮るなら。知っている方が罪は罪として、自分のことになるんじゃないかな。