世界を言葉で繋いだら

毎日にイラストを添えて

あなたの物語 あなたの好きな物語

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 私は歴史が好きです。そして神話も好き。神話くらい古い時代だと、記録も何も曖昧なので歴史というより考古学や文化人類史のうよなカテゴライズに一般的にはなるでしょうが、私にとっては全てが物語。

 物語というと一般的には、創作されたお話で誰かが作ったものを指し示すでしょう。私にとって物語というのは「興味や関心など、心惹かれる要素のある自分以外の話」なんです。

 好きだと先に挙げた神話。これは主人公が地域や文化圏、もしくは民族を題材にした大河ドラマのような物語。出回っている小説の物語だって、主人公が親子2代にわたるものや、国の発展などスケールの大きなものがありますよね。歴史なら文字などの記録が残っているという違いが神話とあるだけで、基本的に私にとって物語なんです。

 物も同じで、職人が丹精込めて作った逸品から。ハンドメイドが得意な人が作ったアクセサリー、描くのが好きな方が生み出したイラスト、授業中に暇でかいた落書きも。私にとって物語を感じさせるなら、全ては物語。そして生きている人にも物語を感じます。何も波乱万丈に人生を送っている必要はなくて、自分違う環境で育ち、考え、ものを見る目、出来ること。人はそれぞれ違った人生を、ほぼ毎日同じ日常でも歩んでいます。その1日、あるいは毎日の話を聞いて、「もっと聞きたい」「私もそんな日常を送りたい」「すごーい」と関心を持つのであれば、物語なんです。これが考え方といった側面に特化すれば人生哲学になるだろうし、毎日のルーティーンに目を向ければライフスタイルと呼ばれ、その人のスキルや特技に焦点を当てたら職業と呼ばれる。

 人が人に惚れるのは、この物語の要素が欠かせないと思っています。ただ人によって好みがあるから、誰しもが好きな物語=人というのはいなくて。だからこそ、出会いは運命になぞらえる事が出来るんじゃないでしょうか。自分の送っている平凡な日常を、温かくて安心できるから好きという人だっているはずです。人生を変えたいと1度くらいは思うから、シンデレラストーリーや起死回生という言葉も存在します。人が人に関心を持つのは、他者がいることで自分が何者か分かるという点が大きいですが。自分1人の今なら80年の生き方では、経験できないものが多い。輪廻転生があるかもしれなくて、人は脳が大きくなったがゆえの悩みもありますが。悩めることは例え結果が決まっていても、人の特権です。もがく、あがくという言葉に良い印象を持つことは難しいでしょうし。人間、どうにもままならない事なんてありふれています。それが自分事であれば、辛くて面倒で投げ出したくなる。ただこれが映画やドラマの中で起こることなら、人はそれを娯楽として受け入れます。

 自分ではなく他人だから、面白おかしいだけと怒られてしまうかもしれませんし、他人の不幸は蜜の味とも私は思いません。人生が、いや生き方がずっと上り調子で順調で、何の不安もなく生きたいと願うことは普通で当たり前かもしれません。私だって面倒ごとや苦労、痛い思いは大嫌いですし、経験しなくて済むなら回避したいです。あなたが、人と比べて幸せなのかを考えている人ならば、きっと私の書いている今日のブログの内容は意味が分からないことだらけかもしれません。

 悲しみや苦しみばかり、他人と比較しても分からないと言われますが。嬉しいことや好きだって、自分のみが感じ取れるもので、他人と感覚を共有できるものではありません。あなたの物語において、悲しみは重要な要素になったとしても。私の物語においては、好きが重要な伏線になっている。視点の違いともいえますし、考え方の違いとも置き換えられます。必ずしも物語の主役になれとは言いませんが、勝手にページがめくられる物語ならば、ただ傍観するだけでは癪に障りませんか?自分のことを勝手に幸せそうと決めつけられることに、腹が立ちませんか?知りもしないのに苦労しているんだねって、分かったようなことを他人に言われて気分が良いですか?そういうことです。何も反旗を起こせ、自分を否定する人と戦えと言いたいわけではありません。物語の要素は好みによって、読む読まないが分かれるのだから、読んでほしい人にだけページを見せればいいし。読んでほしい誰かがいるなら、そのときだけ関心が向くようにすればいいのです。ここで重要なのは「自分を変えたい」と思うのではなく「私は変わりたい」と願うことです。変えたいという欲目では、感心は一時、一瞬の末路です。なぜなら物語がないから。恋人に言われ相手好みの髪型や服装にしても、好感度が上がるのは一時的ですよね。きっかけには良いかもしれませんが、そこから継続して好感度を維持または上げるには、相手から指定された項目だけ埋めていても。主軸になる自分の要素が減るだけで楽しい関係とは言えなくなります。それでも言いというならば、そういう物語を歩めばいいのです。

 私は真逆とまではいきませんが自分の世界を大切に過ごしていますので、私の物語を手に取ってくれる方は少ないと思っていますし、だからといって増やしたいとも考えていません。無理しても、すぐ疲れちゃうから。幸い、どんなに酷いことを言っても笑って済ませてくれそうな友人がいるから出来る事であって、オススメはしません。人に好かれたいというより、人と争いたくないんですね。考え、価値観、哲学、金銭感覚、趣向、主義、大切なもの、人付き合い出来る外見。人付き合いに必要な項目はたくさんありますが、他が好みであっても1つでも苦手な項目があれば、人間関係なんてあっさりと幕が引かれます。苦手な項目があっても、話したい遊びたいという関係性がなければ、他人よりもさらに人付き合いの出来ない「苦手な人」「嫌いな人」になります。

 私はどうやっても大衆小説な物語にはなれないから、ニッチでコアなファンがいるマニアック物語の道を進んでいます。ニッチでコアなファンがいるマニアックな物語は、幸いなことにネットの海で見つけられることがあるんです。出会いは運命なのですよ。